’25/01/17_君がいた夏は

帰省した時に初詣と散歩を兼ねて近所の神社に出かけた。
アフターコロナによるものか、世の中がクリーンになったが故か、
今は出店が一つもない。

盆と正月が一度に来るって言葉があるが、今の子供からしたら
盆も正月も何が楽しいの?ってなるやろな。
正月はまだお年玉があるだろうが、昔は親に預ける分を除いて、
自由になるだけのお金を握りしめて、出店を眺めて回ったものだ。

今思えば明らかにパチモンのポケカや遊戯王のカードが
景品になっていたり、ホンマに当たり入ってんのか謎のくじ引きやら、
本気でガサ入れしたらアウトになるんちゃうかってくらいグレーな
商いが行われていたように思う。

当時はまだフォトショップは無かったはずだが、思い出補正が甚だしい。
高校時代の淡い恋愛感情でデートしたあの夏の神社。
今と違い、入り口も出口も決められてなくて、一方通行でもなく、
無限に続くように思えた出店の列とごった返す人混み、
はぐれないようにするためには仕方ないよねと繋ぐ手。

まだアニメや創作物には出店のあるお祭りの描写があるが、
カセットテープやVHSが廃れて「巻き戻す」の意味が
分からなくなっていったように、なぜ初詣や夏祭りに出店があるのか
分からなくなっていくのだろう。

そういったものが時流に淘汰されていくのは仕方ないとは思う。
ただ、瑞々しい感性を持った時を生きる若者の情緒まで淘汰されては
欲しくない。

今はSNSで簡単に、子供が大人の、大人が子供の、庶民が富裕層の、
富裕層が庶民の、色んな人が色んな世界を覗くことができる。
覗くだけならいい。
ああ、こんな世界もあるんだと知るだけならいいと思う。
ただし、覗き込みすぎると、まるで自分がその世界の人間になったように
錯覚してしまうだろう。
多少工夫すればどうにかなる程度のギャップなら問題ないが、
明らかに不相応なギャップだと、鉄骨渡りのようなショートカットを
しようとして、大半が破滅する。
極少数のショートカットに成功した人が生存者バイアスで、
誰でもできると言って鉄骨渡りを促す。

ショートカットに成功したことは貴重な経験だし、
それはそれで個人の努力でもあると思うが、
本来経験した方が良かったことができなかったことにもなる。
コスパ、タイパも大事だが、無駄が醸成してくれる味もあると思う。

醸成には時間がかかるし、どんな味になるかも分からないが、
それがその人を唯一無二の存在たらしめてくれる。そう思いたい。

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